山田“くんさん”雄平
と
GORYU PARK
-interview-
1. 札幌から白馬へ。競技と仕事の両立に踏み出した理由
札幌出身で、これまでは主に北海道で滑ってきました。ライダーとして映像や写真の中で、自分の滑りや考え方を伝えることにも取り組んできました。そんな自分が「白馬でディガーをやる」という選択をしたのは、フリーライド競技にもっと真剣に向き合いたいという思いが強くなったからです。
FWT Qualifierの日本国内大会はすべて本州で開催されており、海外大会も基本的に急斜面の岩場で行われます。そうした背景から、白馬八方などのアルパインエリアに代表される白馬のバックカントリーエリアの多様性に惹かれ、競技に本気で取り組むなら環境を本州に移すことが必要だと感じていました。
今回GORYUPARKで働くことにしたのは、数年前に別のスキー場で一緒に働いた、近藤隊長(現プロデューサー)や小林(現コースディレクター)が先に働いていたからでした。彼らの持つ高い視座や安全管理への一貫した姿勢を信頼していたので、再び連絡を取り、このチームに加わることを決めました。私は白馬五竜を滑ったことがなかったので、彼らがこの場所にいたこと、そして自分の能力を理解したうえで受け入れてくれたことが、とても大きな意味を持ちました。
2. 1シーズンを振り返って──パーク制作と滑走の日々
24-25シーズンは、新人教育に力を入れたシーズンでもありました。GORYUPARKには積雪地域以外から来るスタッフも多く、雪の扱いそのものに慣れていない新人も少なくありません。そうした仲間に対して、スコップやシェイパーの使い方、そして除雪といった基礎的な部分から、一緒に現場を回りながら少しずつ伝えていく毎日でした。一度に多くの新人を見るのは自分にとっても初めての経験で、教えることの難しさと、自分の説明の曖昧さに気づかされることもありました。
シーズン途中、前十字靭帯断裂と半月板損傷という大きな怪我を負い、競技活動からは早々に退くことになりました。パークプロデューサーの近藤隊長は、自身も選手・指導者として怪我の経験が豊富で、スキーやスノーボードにおいて膝の怪我は誰にでも起こり得るものだと、自然に受け止めてくれました。
競技者として、また仕事への責任感もあったので、悔しさは大きかったです。現場に出ることは減りましたが、そのぶん周囲を見る時間が増えて、「パークを作る仕事」の本質に、これまで以上に意識が向いたと思います。
3. 大変だったこと──現場と競技のはざまで
ディガーという仕事は、想像以上に体力と精神力が求められます。雪かき、整備、気温差、風、そして早朝出勤。体へのダメージは小さくなく、競技と並行するとなれば、疲労が蓄積し滑走パフォーマンスに影響することもあります。
運営側になると、パークの危険性に無自覚な来場者が意外と多いことに気づかされます。そういった方々が危険な行動をとらないようにすること、また危なさを視覚的・構造的に伝えることも、私たちの仕事です。ロープの張り方やポールの立て方ひとつにも意味があり、それだけで言葉を使わずにお客様を誘導することができます。
滑り手だからこそ、現場で起きやすい事故のパターンや危険の兆候を察知できる。滑り手が現場を運営する側にいることの意義は、そこにあると思います。
4. 楽しさとやりがい──“滑る場所”を自分たちの手で
一番のやりがいは、やはりお客様が「できた!」と喜ぶ瞬間や、仲間のディガーが目に見えて成長していく過程を間近で見られることです。整備したアイテムで初めてボックスに乗れた子どもや、フラットダウンで何度も挑戦を重ねていたスノーボーダーがついに決めた瞬間など、何気ない場面に“成功のドラマ”が詰まっていて、それを自分たちが支えているという実感があります。
また、自分の技術を鍛えるための環境としても、GORYUPARKは非常に恵まれていると感じています。白馬には意外と、ハイクアップでトリックをじっくり練習できる場所が少ないのです。五竜のナイターにはそうした練習環境が残されていて、仕事の後に自分の課題に取り組めるのは本当に貴重です。
そして何より、自分たちで作ったリップ、アイテムの置き方や、実際にどう使うかを滑りながら確かめ合う―― そんなやりとりが日常的にある現場です。「この置き方でこう遊んだら面白い」「あのリップよかったよ」といった会話が日常的に交わされ、滑りと整備のあいだに“往復運動”がある現場だからこそ、技術だけでなく「目」も養われていきます。自分の滑りの精度が整備にフィードバックされ、整備の感覚がまた滑りに還元される── その双方向性が、この仕事の面白さの核心だと思います。
5. 若手ディガーへのメッセージ──安全とスタイルの両立
私自身、たくさんの海外遠征で、より大きなパークで滑ってきました。だからこそ、GORYUPARKの初心者向けに設計された部分に対して、若手が「物足りなさ」を感じる気持ちもよく分かります。
しかし本当に安全に滑りこめるパークというのは、サイズの大小に関係なく、高度な安全管理と明確な意図を持って設計されたものだけです。残念ながら日本では、初心者向けパークが、十分な経験のないパトロールやスキー場職員によって「片手間」で作られ、結果として危険な状態が放置されている──そんな現場を、これまで何度も目撃してきました。たとえば、リップの角度変化が急すぎてまくられて飛ばされる、といった状況です。
そして、リップを綺麗にすることだけがディガーの仕事ではありません。滑り手の安全と挑戦のバランスを設計することこそが私たちの役割です。だからこそ私たち先輩ディガーは、世界中のパークで滑ってきた経験と世界基準の安全へのこだわりを、現場で若い世代に伝えていくことが大切だと考えています。
6. 最後に──業界のこれからをつくるために
私は、自分のような“コアな滑り手”だけを相手にする活動では、業界が尻すぼみになっていくという実感を持っています。だからこそ、初心者やこれから始める人たちに対して、安全で楽しい環境を届けることが、結果的に滑走文化そのものの存続につながると信じています。
GORYUPARKには、その価値観を共有する人たちが集まっていました。私自身、ここで働き、滑り、考えることで、自分の競技活動や表現にも確かな影響があったと感じています。
これからディガーとして挑戦しようとする人には、「自分の滑り」を追求するだけでなく「挑戦する人を支える場所」を意識して現場に立ってほしい。そうすれば、自分自身の滑りの「深さ」や「意味」にもつながっていくと思います。そしてきっと、他のパークに行っても「ディガーが作りたかったもの」や「こう使ってほしかった」という意図に気づけるようになるはずです。



